2014年1月4日土曜日

一月一日

 
日本のお正月を彷彿させるもののひとつに、フジテレビで放送されていた「新春かくし芸大会」がありました。

 何をもって、お正月らしかったのかといえば、良く知るいつものTVの顔である芸能人たちが、こぞって艶やかな和服姿に身を包み、いつものあの歌をみんなで歌う姿でした。

一月一日
1、
「年の始めの 例(ためし)とて 終(おわり)なき世の めでたさを
松竹(まつたけ)たてて 門(かど)ごとに 祝(いお)う今日(きょう)こそ 楽しけれ」
2、
「初日のひかり さしいでて 四方(よも)に輝く 今朝のそら
君がみかげに比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ」

 新春かくし芸大会は、2010年のお正月までやっていたそうですから、若い方でも知っている方はたくさんいらっしゃることと思います。

 この一月一日(いちげついちじつ)(…と読むそうである。初めて知った)は、昨年60年に一度の遷宮が行われたことでも話題となった、出雲大社の第八十代の宮司であった千家尊福(せんげ・たかとみ)が作詞したものです。


 さて、昨年は、わが国に希望の光が差し始めた年です。

 いよいよ富士山が世界遺産に登録され、また東京オリンピックの招致が決定、12月にはわが国の和食が、世界無形文化遺産に登録されました。景気のほうも、アベノミクス効果で上向いてきました。

 老いも若きも、皆が何か自信を持てず、人目ばかりを気にして、窮屈な想いで生きなければならなくなったのは、いつの頃からでしょうか?

 私は、国民が自分たちの国であるこの日本のという国に、誇りを持ち、共通の喜びと認識を取り戻せるよう、もっと大らかに、もっと笑顔で生きれるよう、文化を継承していきたいと想っています。

 お正月になった瞬間、あの懐かしい(私はTVで観た)あの歌を高らかに歌いながら、この歌のことを調べていました。千家尊福宮司は、やはり昨年式年遷宮であった伊勢神宮と出雲大社を、共に生かしながら(長い間葛藤の歴史があったのです)この日本の礎を守っていきたいと、宣言された素晴らしい御方。

 TVで一月一日を歌っていた、芸能人たちも、私が子供の頃から良く知る(私はS45年生まれ)人たちばかりで構成されて、この歌の歌詞にふさわしく、嬉しい楽しみなお正月のひとコマでありました。

 ところが、そのままネットサーフィンをしていましたら、

唱歌「一月一日」は歌ってはいけません

という題名があった。何事かと想ったら、まぁ酷い…→


老人ホームでこの歌を歌っていたお年寄りの歌を辞めさせたとあります。
しかも、その理由が、歌詞に天皇が出ているからとか、いないとか。。

先輩方の思い出をなんと心得る!これは自由の侵害というやつではないのですか?

これは2007年の記事だから、当時30代とされるこの【事件】を起こした当人は、私と同世代とお見受けします。

この記事を書かれた、吉備野庵の管理人様は、昭和5年生まれ。1年半前から、更新されていないようだから、もしかしたら、すでにご存命ではないのかも知れない。。

そんな管理人様、第二次大戦中は、少年であり、今後はますます数少なくなる、戦争の実体験者。
その彼が、この事件に関してこのように述べられております。

このアタマでっかちの職員や施設長のような”観念”ではなく、骨の髄まで染み込んでいます。何しろ15年間、ことあるたびに歌って来たのです。
でも、その私すら、今、「君が代」や「一月一日」を聞いても、特別、深刻な危機感を感じることはありません。悪い思い出は60年前の天皇陛下の人間宣言で吹っ切れています。それによって妄執から自己解放も出来ています。後は「赦し」の問題。あの悪夢の時代の愚挙を赦し、新しい時代への戒めとする。私より高齢の先輩達はすべて心に残るわだかまりは解消しています」

私は、私の大好きな歌に泥を塗られたような気がして、さらに、自分たちの住む国をその国民が愚弄していると知って、非常に情けなく想いました。

管理人は、この歌の成り立ちを蕩々と述べ立てたとするこの者を「たぶん勉強家なのでしょう」と謙遜(管理人は元新聞記者である)されているが、いやいや…どうして。自分に都合の良い結果をもたらすために、都合の良い言葉を並べ立てて、何も知らぬ無垢な人たちを教化しようとしただけで、真実を無視し、人々に罪悪感を植え付け、自国の文化を消滅させようとする。売国奴。その職員の正体は、覇者であります。

天皇様という存在も、神道も、かつて軍によっていいように利用されて参りましたが、現在はその御身を象徴とされた現代も、そこにそうして在られることによって、平和が保たれているのだということを皆さん知っていてください。中心無き世は、分裂の世です。戦いの世です。

国無き世は、親なき世です。親なき世は、教育なき世です。指針なき世です。

私は、個々人の思想や学問のことにとやかく言うつもりはありませんが、このようにひねくれ、ひん曲がった、ドグマに凝り固まって人を攻撃するこの輩を、私は同族同世代として、非常に恥ずかしく想います。

夢千代




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