2013年10月23日水曜日

何も変わらない





明け方、夢を見た。



新居にきて、二ヶ月が経った。

朝、いつものようにゴミだしに行こうとして目を覚ます。


大きなポリバケツのゴミのふたを開ける。
中には何も入っていない。

(あぁ、結局ここには何も捨てなかったんだな)


昨夜、祖父と祖母が何か言い合っていたことを思い出す。



周りを見渡すと、壁面の上から下まで、びっしりと綺麗に並べられた革靴がある。
レジのある方から、店の中を見渡すと、そこにはいつもの良く知った靴屋の光景があった。

(なんだ、何も変わらないじゃないか)

そう思い、ほっとする。


ふと目の前に、僕が持ってきたはずの古いそろばんが置かれていた。
(全部持ってきたと思っていたのに、まだ残ってたのか。こんなことなら、そのまま置いておけば良かったかな)
この場所があるなら、僕が持っていても意味のないもの。

でもそのそろばん、どこか形がおかしい。

僕が持ってきたそろばんは、五つ玉だが、そこにあるそろばんは、三つ玉!?である…。

五を数えるための珠が、上にひとつ。
一を数えるための珠が、下に、三つ…。

やけにそのそろばんだけが、意識の中にクローズアップされる。

なにかが、おかしい。
でも、それ以外は何も変わらない。
何等、変わるところはない。

それなのにそのそろばんだけが、非日常さを物語っていて…。
僕はようやく、これが「夢」なのだと感じる。


夢なのだと感じながら、確かに存在したこの日常の空間。

夢の最初にほんの少し登場した
じいちゃんやばあちゃんの心の心象風景だということを、
理解する。


古い家から、新しい家に持ってきたものは、五つ玉のそろばんだけ、じゃあない。

家の象徴である、仏壇もまた新しい我が家に越してきた。

これからもまだまだ健在である僕の両親に代わって、僕が仏壇を引き取ったのには訳がある。

毎日、いつものように僕が続けていた習慣を、そのまま続けさせてもらいたかった。


そう、みんなに頼んで、僕のわがままを聞いてもらった。


祖父母が暮らした心象風景。

その記憶とこの光景を、僕は辛うじておなじものを共有している。


現実の世界では、もう数年も前に変わってしまったはずなのだけれど、
明け方に見た夢の中では、
その世界こそが現実であって、
よく知った世界であって…。

そんな共通の心象風景を持ちつつ、
今(その後の未来)を生きながら経ている僕が、
すでに変わり身となってしまった祖父母に対して、手を合わせたら、
その心霊空間には、それぞれのどんな想いが交錯するのだろうか。。


今日も新しい一日がはじまる。

わが家のゴミボックスから取り出したゴミは、先ほど収集所へ置いてきた。

これから、仏壇の前に行き、今朝見た夢のことを祖父母に報告してみようと思う。

きっと喜んでくれるに違いない。そう思っている。


夢千代

0 件のコメント:

コメントを投稿