2013年3月30日土曜日

「純と愛」最終回

純と愛。

 
朝の連続テレビ小説、今日が最終回でしたね。

 私が観たのは、途中からでしたが(純がホテルオオサキに入った辺り)それ以降、出来るだけ欠かさずに観るようにしていました。

 実に『爽快』でした。 
 よくぞやってくれた!と思いました。

 90年頃から、大人たちのあいだにテレビ離れが進んだのも、視聴者に迎合し、欲望ばかりを増幅させるような、人として大切なものを欠いた皮膜的な番組が横行していたからではないか、と私は思います。

 「人として大切なものとはなにか?」 
 「生きることに本当に必要なものはなにか?」

 それを、教えてくれたもの、その解答こそが、「純」と「愛」だったように私は思います。


 そんな折、事件は、番組開始当初から始まりました。
 主人公「夏菜」さんへの酷評。脚本家への“不満”。
 「朝からうるさい」「朝ドラらしくない」

 
 先日、夏菜さんの出ていたNHKの別の番組で、彼女は「夏菜」でいることよりも長く、「純」としてこの時間を過ごしてきた心情を明かしてくれました。それは、劇中の「純」がまるで役柄そのままに登場したかのごとく、苦悩と必死の半年間であったことを語ってくれました。

 そもそも、私が、なぜこの番組を見始めたかと言うと、それは私の妻が「ねぇ、なんか私たちにそっくりなドラマがやっているよ」と言って一緒に見始めたのが、きっかけです。
 いつもこの番組が始まる時間になると、二人でテレビの前に座って15分間、一緒にいるのが日課となりました。 

 何があっても、プラス思考。人を疑うことを知らず、自分のでっかい夢に正直で、まっすぐで、傷つきやすくって、それでも絶対にへこたれない「純」。 人の心を読めてしまうがゆえに、激しく傷つくことさえ超えた怒りを生じ、体や精神の無理だけはあまりできないものの、知識も、才能も、人を説得出来る優しさも、根性も細やかな女性のような気遣いも、みんな持ち合わせていながら、生きることの希望を失っていた「愛」。

 この二人は、私たちふたりの姿に、あまりにも良く似ていました。

 ドラマが進むにつれ、その登場人物さえも、いま、私たちが抱えている環境に酷似していましたし、二人の放つセリフを聞いた私たちが、何度胸の琴線に触れられ、考えされられたり、涙を流したことでしょう。
 おじいのホテルがばりばりと破壊される音を聞きながら、私は同じようにある建物のことを想いながら、切迫した想いで不安を払拭しようと、祈り続けたことでしょう。
 
 よくある「世間」や、「偉人伝」ではない、はちゃめちゃで、わかりづらくって、それでも一生懸命な。
 どこにでもいる代わりに、すべて用意され、周囲にお膳立てされながら、きれいに着飾った中でピエロを演じるからくり人形とは違って、昔見た、スポコン(スポーツ根性)もののような。
 まどろっこしくても、這い上がって這い上がって、本物をつかんでいくという、忍耐と努力の人の、私にいちばん馴染みのある庶民のね、王道のようなドラマ(当時、見たことはありませんでしたが、「愛と誠」も、たぶんそうなんでしょうね)。

 もしかしたら、今はまだお若い「夏菜」ちゃん自身さえも、理解に苦しむような、作りあげられてしまった実世界の『現代』人からは、遠い昔になってしまった本当の『常識』こそを、脚本家は描きたかったのかも知れない、そう思ったんですね。
 
 演じている夏菜さん自身が苦しみ、視聴者が番組を見て「怒り」さえおぼえてしまうという、このお話し。
 今日の「純と愛」の感想レビューを見ても、“すごく面白かった”か“とてもつまらなかった”の両者に、意見がまっぷたつに割れてしまうような、極端なこのお話し。

 ふだんは、良い人・悪い人の区別をほとんど出来なくなってしまった私が、あえて言わせていただくのであれば、あぁこれは、これをつまらないと批判する現代の認識力、読解力、また耐え忍ぶ力、お金や物質以外の存在のみを「信じる力」、そんな『実社会に生きる私たち人間こそ』が、“とてもつまらない人間”に成り下がってしまったのだな、という感想を持ちました。
 夏菜さん自身に対して申し上げれば、当初はこの役を演じる意味さえも、見失っていたことと思いましたが、私はこのキャスティングをされた方は、実に正しい判断をされたと、自信を持って言うことが出来ます。
 
 『出る杭を打つ』風潮のある、近年の「つまらない良識」なるものに、傷つき、自信をなくされて来た方が、一人でも多くの人が、このドラマを見、「勇気」を見出し、生きることに「希望」を見出し、なんにでも果敢にチャレンジして、見えざる「世間」や「運命」に負けず、正々堂々と「生きられる」ことを強く希望します。
 最後に、純の“おじい”や“お母ちゃん”が純にいつも言っていた言葉を、ここに書いて終わりにしましょう。

     <『純』あなたは、そのままで(生きていて)、いいんだよ>


夢千代

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